海を渡ったところで平和の祭典が始まった。
時同じくして、同じ大陸で戦争が始まった。
みんな仲良く、なんてのは絵空事なのかもしれないけれど、
せめてこの期間くらいは、ずっと頑張ってきた人たちを応援しようよ。
そんな風に思う。
民族の違い、主義の違い、それらに利害が絡み、人と人は殺しあう。
人間の歴史は戦争の歴史だとか、
テクノロジーは戦争とともに発展してきただとか言う。
もちろん、そういった側面も否定できないのだろうが、
果たして今後、人を殺してまで発展させなきゃならんテクノロジーなんてあるんだろうか。
殺しあわないで済む為の科学を多くの研究者たちは模索してるんじゃないだろうか。
僕は人を殺したことはありません。
今後も殺す予定はなし。
まあ、当り前か。
とはいえ、もしも事故なんかで人を殺めてしまったら・・・と考えるとゾッとする。
そのくせ、芝居ではバンバン人を斬っている。
これでもかっていうくらいに。
だから想像する。
人を殺した本人はもちろん、その家族や周囲もそのことによって絶対にその後の人生が変わる。
大切な人を殺された人たちも当然、その後の人生が激変する。
それぞれが大きなものを抱え、背負い続けなくてはならなくなる。
今、稽古中の『柘榴坂の仇討』は、まさしくそんな話。
だからこそ、余計に、ね。考えちまったりするのです。
以前、いざ世界中を巻き込んだ戦争になったとしたら、おまえは出征するかと問われたことがある。
ちょうどWTCのテロがあったり、イラク戦争があった時期だから、
徴兵されるとしたら、僕はドンピシャな世代だった。
即座に嫌ですよと答えたと思う。
だって、芝居が面白くなってきた時期だったんだもの。
我ながらにすげえ自己チューな思考。
でもね、今、オリンピックを戦ってる選手たちも突き詰めて言ったら同じなんじゃないだろうかなと思う。
今、この時この瞬間の為に彼らはすべてを捧げてきたんだろう。
勝っても負けても、その成果を出し切ろうとしている時に戦争だのテロだのなんて、とんだケチをつけられたもんだ。
もちろん、オリンピックだってきれいな面ばかりじゃないだろうさ。
でも、裏ではどんな思惑が蠢いていようと、色んな政治が絡んでようと、
少なくとも大会に出てきている人たちは、努力してきたわけで、色んなプレッシャーとも戦ってるわけで、
その姿は同じ人間としては応援しなくちゃいけないんじゃないかなと僕は思う。
いや、応援するかどうかは個人の自由かもしれんけど、
それにケチをつけるのはいかがなものかと思う。
ちゃんと見守るのが筋だろう。
世界が平和であれと願う。
でも、僕のそれは、極めて個人レベルの自己チューです。
だって、戦争になんかなったら、真っ先に切り捨てられるのは芝居とか、そんな生産性の無いものだもの。あ、卑下してるけじゃなくて。
それに、人を殺したくなんかないもん。
僕は、芝居のウソごとの中だけでいいや。
でもね、誰もがそんな自己チューはあるはず。
そんな自己チューの間を取ったら、意外と簡単に平和になるんじゃなかろうか。
なんて思ってる僕は甘いのか。
つまるところ、僕に何ができるのかと問われれば、目の前の芝居をやりきることしかないのだけれど、
たまにゃあこんな場所で書いてみるのもいいのかなと思って書いてみた。
僕は今、人を殺めたことによってその後の人生、ずっとそれを背負い続けてきた人間を演じている。
この人がどんな出会いをし、どんな一歩を踏み出すのか。
教科書に載ってる歴史の裏に多分、実際にあったであろうそんな物語。
お時間があればぜひとも見に来てほしいなと思う。
散々話をワールドワイドに振っておいて、結局最終的には宣伝になっちまうところが、
これまた自己チューだなと思うのであるけれど、そこは笑って許して。
全然関係ないけれど、昨日、いや日が変わったから一昨日、8/9はウチの父上の誕生日だった。
御年60歳。還暦だ。
おめでとうの電話をした。
まあ男同士、特にたくさん話すことはなかったのだけれど。
無事、ぐるっと一回りできてよかったね。
でもって、同日夜。
いつもお世話になってるところのお父ちゃんに飲んでる席で
「望海さん、そろそろ嫁さんもらわなアカンで~」と連発された。
あは。こりゃまたマイッタ。
ウチの父上もそう思ってるのだろうか。
父が還暦にもなりゃ、息子もそんなお年頃ってわけか。
しかしまあこればっかりは僕一人でどうこうできるわけでもないので・・・(^^;)
なんだかまたまた冗長で散漫な文章になってしまった。
これまた笑って許して。
明日、というか今日はめちゃめちゃ早いのでこれで終わろうと思う。
ではでは。
あ、よかったらウチの父におめでとうコメントをしてあげておくんなさいまし。
このブログは欠かさず読んでるみたいなんで・・・(^-^)
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