どうにも眠れず、布団の中でうつらうつらしたり、音楽を聴いたりしているうちに夜が明けた。
奇しくも今日は1月17日。
阪神淡路大震災から15年。
TVを点けると、追悼イベントの様子が映されていた。
1995年1月17日午前5時46分。
その時、俺は千葉に住む中学3年生。
関西にはいませんでした。
自分がその後、関西に住むことになるとも思いもしてませんでした。
朝起きて、TVに映される神戸の光景、いつもと同じ平和な朝を迎えている自分とはかけ離れた惨状が、
にわかに同じ国の中で起こったこととは信じられなかったことを覚えている。
同い年の中学3年生が、受験勉強をしながら犠牲になったというニュースを聞いて、心が痛かった。
春。
高校入学を控えた休みに、知り合い伝いに神戸にボランティアで手伝いにきた。
今にして思えば、当時の俺は、好奇心の方が強かったのかもしれない。
喪うことの辛さ、痛み、苦しさは本当の意味で理解していなかった。
ただ無邪気な好奇心、何が起こったのかを自分の目で見ておきたいという一心で現地に行ったのだと思う。
その後、自分が関西に来て、早10年。
次の春には丸11年を迎える。
実際に被災した友達・知人などからも話を聞いた。
震災を扱った芝居に出演させて頂いたこともある。
30歳になった今、勿論当時よりは大切な人を失う哀しみは自分の体験としてわかるけれど、
震災の恐怖というものは、正直今も本当の意味で理解は出来ていない。
皮肉なもんで、毎年1月17日を迎えると、10年住もうがあくまで自分は関東人なのだということを再認識させられる。
多分、それは11年の来年も、そのまた来年も感じることなんだろう。
それは仕方あるまい。
体験してないのだから。
でも他人事でないことだけは確かだ。
地震のみならず、大切な人を喪うことの痛み、恐怖、怒りは誰もが抱えている。
ハイチで大震災が起きた。
死者は20万人にも上るとの報道だが、地球の裏で起こった大惨事は、日々消費されてゆく情報に埋もれていく。
しかし、哀しみに暮れる人が何百万といるという事実は、他人事ではないはずだ。
そう、他人事ではないんだ。
ご冥福を祈り、そして俺にできることを考えよう。
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